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<機関誌「SCOUTING」2022年1月号の記事を本サイトにも掲載しております。内容は機関誌発行当時のものです。>

日本連盟コミッショナー 福嶋 正己

全国の指導者の皆さん、あけましておめでとうございます。 2022(令和4)年はボーイスカウト日本連盟創立100周年の記念の年です。1922(大正11)年に少年団日本連盟として発足してから、100歳の誕生日を迎えます。紀寿を祝うさまざまな記念行事を展開します。 まずは8月の第18回日本スカウトジャンボリーを皮切りに、100周年記念式典、記念レセプション、全国キャラバン、募金活動等が目白押しです。 スカウト運動は1908(明治41)年には日本に伝わり、全国各地でさまざまな少年団が活動しました。次第に全国的な統一組織結成の動きが起こり、ようやく1922年に少年団日本連盟が創設され、世界のスカウト運動の仲間入りをしました。 その後、太平洋戦争の4年間(1941 年~1945 年)は、大日本青年団、大日本連合女子青年団、大日本少年団連盟(本連盟)、帝国少年団協会の4団体が国策により統合されて「大日本青少年団」と改組されました。本連盟は加盟団員と指導者はこちらに合流させましたが、その間も基本財産とボーイスカウト精神を引き継ぐために「財団法人健志会」と名称を変更して法人格を存続し、太平洋戦争中の4年間を凌ぎました。 1945(昭和20)年8月に太平洋戦争の敗戦を迎え、1952(昭和27)年4月に「サンフランシスコ講和条約」発効。すなわち日本の主権が取り戻されるまでのおよそ7年間、日本はアメリカを中心とした連合国に占領され、その統治下にありました。しかし、終戦直後から少年団の指導者たちや日系2世のボーイスカウト出身者、GHQの民間情報教育局(CIE)の協力により、1947(昭和22)年には、制服は着ない、三指の敬礼はしない等々の条件付きで、東京で5隊、横浜で1隊が試験的にスカウト活動を開始。同年10月には全国で92隊が活動するまでになりました。 こうしてボーイスカウト再建の動きは続き、名称を「財団法人ボーイスカウト日本連盟」として、1949( 昭和 24)年9月24日と25日の両日、戦後初の「第1回全国大会」を皇居前広場で開催しました。24日午後には、昭和天皇ご一家がお出ましになり、日比谷公園で競技大会が行われました。その時、アメリカ連盟のスカウトから、ボーイスカウト日本連盟旗が寄贈されました。翌25日の大会最後には、戦後初めて日の丸を掲げた公式パレードとなったスカウトパレードを挙行しました。 日本連盟旗を先頭に、参加各隊が持つ200余りの日の丸が大国旗を中にして、3,600人前後1,200メートルの大行進が日比谷から数寄屋橋、新橋、銀座、日本橋、東京駅へと続きました。沿道のビルからは紙吹雪がまかれ、拍手や万歳の声が満ちていました。 そして翌1950(昭和25)年7月1日には、ボーイスカウトの国際(世界)会議構成団体に復帰承認され、国際(世界)事務局に再登録を果たしました。 このような時代を経てボーイスカウト日本連盟は、創立100周年を迎えました。次の100年に向けては、ICT の発達により現在よりも情報の伝達はますます迅速化され、自動翻訳機の発達によって自分の母国語で世界の人々と意思疎通ができるようになり、また AI の発達で人間に代わるロボットや、空を飛ぶ自動車の出現、夢の宇宙旅行に誰でも行け、そして一部はバーチャル(仮想空間)な世の中になると考えられます。現在の夢物語が現実の世になるでしょうし、世の中の変化が激しく、さらに現在では考えられない世の中になっているでしょう。 スカウト運動が22世紀まで続いていてほしいのはもちろんですが、そのときスカウトたちがどのような活動をしているのか、誰も想像がつかないでしょう。 まずは、10年先の2032年に向かって日本でのボーイスカウト運動がしっかりと発展していくことが求められます。 ボーイスカウト運動は未来に向かって無限の価値を信じて、その時代時代に合わせた運動体として、世の人創りに貢献していこうではありませんか。想像の向こう側にある新しい世の中に取り残されないよう。

ボーイスカウト日本連盟機関誌「SCOUTING」2022年1月号にも掲載している内容です

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